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公民館の変遷

敗戦による国民の放心状態を収剣して、新しい民主主義体制確立のための大衆啓蒙運動の一環として「公民館運動」が提唱された。
これが、やがて法的裏付けを得て

  1. 定期講座開設
  2. 討論会・講習会・講演会・実習会・展示会開催
  3. 図書・記録・模型・資料を備えての利用
  4. 体育・レクリエーションなどの集会の開催
  5. 各種団体機関などの連絡
  6. 施設を住民の公共的利用に供する

などの事業を実施する社会教育専門的機関としての公民館が発足したのである。
当時名取市は、六ケ町村の合併前で、高舘村が昭和24年12月条例を公布して開館したのをトップに、館腰(25年)・愛島・増田・下増田・閖上(28年)と順次、公民館の設置をみた。館長は、町村 長・小中学校長が兼務した。

6つの独立館時代(昭和30年~昭和35年)

昭和30年の名取町誕生後、すなわち旧町村時代の一町一村一館の六つの独立館時代が、昭和35年まで続き、支所長が館長を兼務した。

分館時代(昭和35年~昭和58年)

名取市公民館時代に入ったのは、昭和35年6月である。
これは、各地区の人・物が市中央部の増田公民館に集められて名取市公民館とし、各地区の公民館は分館となり、分館長は支所長が兼務した。
豊富な人と物の機動的出勤によって、6地区の併立館に分配された力を一つに集め充実した活動を展開していった。
その後の公民館は、次のような組織・施設をもち、社会教育の中心的な活動を更に展開していった。

  • 昭和39年11月 地区分館長に民間人を登用し、支所長は分館主事とした。
    民間分館長誕生後、その協力機関として分館協力委員会が発足し地区分館活動の推進に役立った。
  • 昭和43年10月 名取市民会館完成(名取市公民館長が市民会館長を兼務)
  • 昭和46年4月 名取が丘地区公民館開設
  • 昭和51年 増田西地区公民館開設
  • 昭和51年3月 愛島地区公民館完成
  • 昭和54年3月 館腰地区公民館完成
  • 昭和57年3月 下増田地区公民館完成

独立館時代(昭和58年~現在)

名取市公民館を名取市中央公民館とし、地区公民館を独立館として機能を強化した。

  • 昭和58年3月 高舘公民館完成
  • 昭和59年3月 閖上公民館完成
  • 昭和60年3月 増田西公民館完成
  • 昭和61年3月 名取が丘公民館完成
  • 平成7年4月 相互台公民館開館
  • 平成8年12月 ゆりが丘公民館開館
  • 平成9年10月 市文化会館完成と共に中央公民館が文化会館へ移動となり、市民会館は増田公民館となる。
  • 平成10年4月 那智が丘公民館開館
  • 平成14年11月 中央公民館が廃止され、公民館の連絡調整業務は生涯学習課へ移管された。

(資料:名取市史)

〒981-1292 名取市増田字柳田80
部署名:生涯学習課
電話:022-384-2111