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検断屋敷と衣笠の松(ひとくち市史 第二回)

ひとくち市史~みつけよう、なとりの歴史~ 第二回

検断屋敷と衣笠の松

 検断とは仙台藩の各宿駅(宿場)に置かれた町役人を指す言葉です。増田宿には北町検断と本町検断が置かれており、北町検断は代々菊池家が務めていました。現在、増田地区防災広場となっている旧増田公民館の敷地一帯が北町検断屋敷跡となります。

 この地には「衣笠の松」と呼ばれる松が植えられており、市指定の天然記念物となっています。元長州藩士の国学者で宮内省に出仕していた近藤芳樹は、明治9年(1876)の明治天皇東北巡幸に供奉した記録を書き留めており、衣笠の松の命名に関するエピソードとして知られている話は近藤の記録に依るものと考えられます。

 近藤の記録によれば、菊池邸に立ち寄った一行の中で、木戸孝允が「大君の立寄りましゝ陰なれバ衣笠とこそいふべかりけれ」と発言しました。その発言が歌のように聞こえたため、天皇は「いと面白き名なり、今より絹がさの松といへ」と述べ、元島津藩士の供奉員で歌人として有名な高崎正風に意見を求めたところ、高崎は「たけくまもあねはもかげや譲るらんわが大君のきぬがさの松」との歌を詠んだとされます。

 「衣笠」とは「絹笠」とも書き、絹でできた傘を指し、転じて貴人に指す傘のことを言います。高崎の歌は、陸奥の歌枕として有名な武隈の松(岩沼市)や姉歯の松(栗原市)でさえ、この松には影を譲るであろうとの意味であり、往時の松の壮麗さが偲ばれます。

 今回、市史編さん事業にあたって市内の調査を行ったところ、高崎が歌をしたためた短冊の原本(軸装)が新たに発見されました。軸には「勅命衣笠ノ松御歌 高崎正風書」との外題が書かれており、明治天皇の命で松が名付けられたことがわかります。

【写真2】明治天皇から下賜された高崎正風の短冊
【写真1】明治10年頃の菊池善蔵邸と衣笠の松
【写真3】使用分衣笠の松の前に立てられていた看板

〈もっと調べたい方はこちら〉

近藤芳樹著『十符之菅薦』宮内省、明治9年(1876)、国立国会図書館デジタルコレクション

名取教育会編『名取郡誌』名取教育会、大正14年(1925)

宮城県編『明治天皇聖蹟志』宮城県、大正14年(1925)

 

 

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