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館腰神社・弘誓寺

歴史資料

館腰神社

館腰神社の写真

  神社の由来は、嵯峨天皇の弘仁2年(811)、弘法大師(空海)が弘誓寺を創建する時に、京都伏見稲荷社を分霊したと伝えられています。祀られている神 は、倉(う)稲(かの)魂(みたまの)神(かみ)・大宮(おおみや)姫(ひめの)神(かみ)・猿田彦(さるたひこの)神(かみ)の3神で、奥州(街)道沿 い館の腰といわれる山の麓に近い所に鎮座することから社名が館腰神社と呼ばれるようになりました。

 明治7年6月県社になり、明治41年以降、鹿島・熊野・八坂・雷・八幡・起返の各社を合祀し現在に至っています。
 なお、明治22年に植松、本郷、堀内、飯野坂の4カ村が合併した際は、神社の名称をとって村名を館腰村としました。

 

起返神社

 現在仙台空港の滑走路延長で無くなってしまった沼と呼ばれる地区は、安政4年(1857)仙台藩が天保(1830~1840頃)の凶作により荒れ地となった耕地を、藩商日野屋中井新三郎に資金の出資と開墾を行わせ田に直したところです。
 荒れた田を開墾し元に戻すことを起返(おこしかえし)ということから、沼地区は起返集落と呼ばれました。
この開墾を行った中井新三郎は、小作人に対し親切に接し世話を惜しまなかったとされ、その後、それに感謝した部落の人々により起返神社が建てられ、中井新三郎を祀りました。

弘誓寺

 弘誓寺は、金剛遊山と号し真言宗智山派の京都御室仁和寺の末寺で、本尊は不動明王となっています。開山は弘仁年間(810~824)に弘法大師空海によるとされ、中興開山は、寛喜2年(1230)良賢上人と言われています。

 江戸時代には仙台藩から寺領を与えられた格式を持つ寺で、旧名取郡内に、真福寺(本郷)や高照寺など末寺を16カ所も持っていました。
 境内には、日を切って願を懸けるものはその願いがかなうという日切地蔵尊(ひきりじぞうそん)や元禄15年(1702)仙台藩4代綱村公によって再建された観音堂がありましたが、昭和61年放火により焼失してしまいました。現在の建物は昭和62年に再建されたものです。
 なお、この寺の付近の植松という地名は、以前、寺の門前にあった弘法大師が植えたと伝えられている由緒のある松に由来していると言われています。

弘誓寺の写真
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