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深めよう!那智が丘13

更新日:2024年1月10日更新 印刷ページ表示

第4回 9月21日(木曜日)

「仙台藩の戊辰戦争について ~敗者の視点から探る~」

講師:郷土史家 木村 紀夫 氏

 講師の木村紀夫先生は定年後、戊辰戦争の講話を聞き、国のために戦った仙台藩が「賊軍」として虐げられてきたことに疑問をもち、奥羽越戊辰戦争の真実を求めて研究を続けています。
 今回の講座では、はじめに、「仙台藩は賊軍に非ず」と言われ、戊辰戦争勃発の理由、会津藩が朝敵にされたわけ、奥羽戦争を防げなかったのは何故か、といった問題提起は導入部から引き込まれる話題でした。奥羽越列藩同盟の諸藩のなかで、最大兵力であった仙台藩は、藩境(国境)だけではなく周辺の同盟藩に派兵し、多くの戦死者をだしました。白川戦争、二本松戦争、会津戦争、秋田戦争、さらには、会津の白虎隊、二本松少年隊、仙台黒澤楽兵隊の少年兵の奮戦を熱く語られ、郷土愛を昂揚させられるような、興味深い講話でした。
 最後に先生は、宮城県には先人たちの記念館がひとつもなく、歴史を知ること、それを若い人達に語り継ぐことの重要性を話されました。子どもたちが郷土への自信と誇り持つために郷土の歴史を伝え先人の教えを伝えることは大人の責任であると話されました。
 今回の講座では短い時間でしたが、会津救済と正義のため奥羽越33藩が戦った戊辰戦争の真実を知ることができて大変有益な講座でした。
第4回 9月21日(木曜日)の画像1

第4回 9月21日(木曜日)の画像2

第3回 9月12日(火曜日)

移動研修 「山形県上山市」

 9月12日、移動研修で山形県上山市の上山城、楢下宿を訪問しました。上山市は名取市の姉妹都市ですが、昭和48年、名取市の「海の子」と上山市の「山の子」の交流が始まり、これをきっかけに、姉妹都市の盟約が結ばれました。
 上山城は、最上氏の最南端の城塞で、米沢の伊達氏や上杉氏との攻防の舞台となりました。江戸初期に最上氏が改易された後は歴代藩主の居住となりましたが、城下町まで含めた整備がなされたのは土岐氏の治政下で、当時の壮麗な城郭は「羽州の名城」として知られました。しかし、1692年(元禄5年)、土岐氏の転封と共に幕命により取り壊されましたが、1982年(昭和57年)に二の丸跡に3層の天守が建立され、幕命により取り壊されてから290年ぶりに郷土資料館としてよみがえりました。今回は観光ボランティアガイドに館内の案内と説明を行っていただきました。また、武家屋敷は上山城の西部に位置し、現在4軒が残っており、そのうち公開されている三輪家の内部を見学することができました。4軒とも築年数は約200年と推定されており、茅葺の屋根で土堀、土塁が廻らされています。
 最後に、楢下宿を訪問しました。楢下宿は羽州街道の宿場町で江戸時代に東北13藩が参勤交代の折に立ち寄った宿場です。本陣、脇本陣、旅籠などが残っており、上山市指定の史跡になっており、往時の町並みが大切に保存されています。今回は楢下宿の古民家、大黒屋で、地元のおばあちゃんたちによる手作り郷土料理を、囲炉裏を囲んでいただきました。メニューは、芋煮、田楽、煮物、こんにゃくそば、あけび、漬物など、全部地元でとれた材料を使った料理が並び、豊かな食文化を堪能しました。納豆餅を竹串に刺して囲炉裏であぶる「納豆あぶり餅」が有名だそうですが、今回は夏からの高温が続き、いろりに火を入れることができないとのことで、残念ながら味わえませんでした。
観光ボランティアガイドから説明を聞きながら館内を回りました。の画像
観光ボランティアガイドから説明を聞きながら館内を回りました。

江戸時代の上山の街並みを絵図で使って説明を聞きました。の画像
江戸時代の上山の街並みを絵図で使って説明を聞きました。

当時の藩の上級武士が住んでいた武家屋敷で当時の生活の様子を聞きました。の画像
当時の藩の上級武士が住んでいた武家屋敷で当時の生活の様子を聞きました。

昼食をいただいただいた大黒屋です。(文化5年1808年に建築されました。)の画像
昼食をいただいただいた大黒屋です。(文化5年1808年に建築されました。)

囲炉裏を囲んでお膳をいただきました。の画像
囲炉裏を囲んでお膳をいただきました。

お膳には手描きのメニューも添えられていました。の画像
お膳には手描きのメニューも添えられていました。

第2回 8月31日(木曜日)

「原田甲斐の槍発見!伊達騒動に迫る」

講師:しばたの郷土館 学芸員 岡山 卓矢 様

8月31日、柴田町教育委員会しばたの郷土館 学芸員 岡山卓矢様を講師に「深めよう那智が丘13」の2回目の講座が「原田甲斐の槍発見!伊達騒動に迫る」をテーマに開催されました。
原田甲斐の槍は、熊野那智神社で発見されたもので、神社の井上幸太郎宮司が発見しました。井上宮司が調べると船岡を領地とした原田家が、「伊達騒動」で断絶した際に、原田家の家臣で旧高舘村や増田村に移り住んだ人々が持ち込んだという記録や伝承があるそうです。
講座では、1671年、当時の大老酒井家の屋敷内で審問中におこった刃傷沙汰までの伊達家の内紛の経緯や、それを題材とした江戸時代にできた歌舞伎や浄瑠璃の「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」で描かれた悪役としての原田甲斐と、1970年にNHKの大河ドラマで放送された山本周五郎原作の「樅の木は残った」で描かれた、藩の取りつぶしを防いだ忠義の原田甲斐について資料を使って面白く興味深く説明していただきました。

講師 しばたの郷土館 学芸員 岡山卓矢様の画像
講師 しばたの郷土館 学芸員 岡山卓矢様

熊野那智神社宮司 井上幸太郎様の画像
熊野那智神社宮司 井上幸太郎様
発見された槍を持参していただきました。

講座の様子の画像
講座の様子

第1回 7月6日(木曜日)

開講式、講話・現地見学「高舘城の歴史」

講師:名取市郷土史研究会 小野 友和 様

7月6日、名取市郷土史研究会小野友和様を講師に「深めよう那智が丘13」の1回目の講座を開催しました。「高舘城の歴史」をテーマにした講話の後に実際に高舘城跡を見学しました。
高舘城は1175年に藤原秀衡が築城したという山城で、公民館から熊野那智神社への上り坂の途中に高舘城跡の看板がありそこを下っていきます。本丸があった場所は杉に覆われ鬱蒼とした森になっていますが、参加者は当時を想像しながら見学しました。
講話の様子の画像
講話の様子

高舘城跡の標柱の前で説明を聞く参加者の画像1
高舘城跡の標柱の前で説明を聞く参加者

高舘城跡の標柱の前で説明を聞く参加者の画像2


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