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鶴見屋商店と太陽デパート ひとくち市史 第九回
奥州街道(旧国道4号)沿いに、一際目立つ白壁の建物が見られます。鶴見屋商店(つるみやしょうてん)の土蔵(どぞう)です。1879・1880年(明治12・13年)頃に建てられ、その後、移設・修復工事などが行われ、現在のかたちになっています。
鶴見屋商店は、天明年間(1781~1789年)の創業とされ、当時菓子製造・販売業を営んでいました。また、1876年(明治9年)の天皇巡幸の際に「衣笠(きぬがさ)の松」と名付けられた老松にちなみ、「衣笠の雪」という銘菓を販売していました。「衣笠の雪」は落雁(らくがん)風の押菓子で、増田町の名産品としても有名でした。その後、1927年(昭和2年)に株式会社へ改組し、砂糖・菓子類・製菓原料、その他石油製品などの卸小売や受託販売代理業も行うようになりました。現在も、ガソリンスタンドの営業や、灯油、プロパンガスの販売などを行っています。
1964年(昭和39年)12月には、鶴見屋商店の社長を中心に、名取市内の各小売店と協力して、小売商業共同店舗「株式会社名取デパート」が発足します。そして翌年(1965年)、「株式会社太陽デパート」と改称して、5階建てのデパートが落成しました。その後、火事の影響で増改築工事が行われ、1974年(昭和49年)7月に新「太陽デパート」がオープンすることになりました。
太陽デパートでは、衣服や食料品、おもちゃ、生活必需品などの売り場、食堂や展示場などもあり、市内外から大勢の人々が来て賑わいました。また、当時としては珍しいエレベーターやエスカレーターもあり、時代の最先端を体感できる空間になっていました。デパートとしての営業は、1996年(平成8年)前後に終わりますが、イベントホールやコンビニ、カラオケ、居酒屋、カメラ屋などの入居する複合ビルとして、2011年(平成23年)の東日本震災の影響で取り壊されるまで残りました。
増田の商店などについては、令和12年度刊行予定の新『名取市史』通史編3「近代・現代」に収録する予定です。関連資料をお持ちの方は、ぜひ市史編さん室までお知らせください。