ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 組織でさがす > 教育部 > 市史編さん室 > ひとくち市史 ~みつけよう、なとりの歴史~ 第13回 藩主の狩り場としての名取

本文

ひとくち市史 ~みつけよう、なとりの歴史~ 第13回 藩主の狩り場としての名取

更新日:2026年9月3日更新 印刷ページ表示
 江戸時代、ここ名取市域は名取郡の一部で、伊達政宗を初代藩主とする仙台藩の領地でした。仙台藩は、現在の岩手県南部から宮城県全域、福島県の一部など62万石の所領をを持つ大藩です。そのような大藩の藩主も、狩猟を行うため、たびたび名取を訪れていたことが様々な史料に記されています。

『伊達治家記録』 (出典:仙台市博物館所蔵資料データベース)

『伊達治家記録』

(出典:仙台市博物館所蔵資料データベース)

 

 藩主の狩りは、武芸の鍛錬や軍事訓練というだけでなく、自分の所領の巡検(巡視)も兼ねて行なわれていました。伊達家の歴史書である『伊達治家記録』には、歴代の仙台藩主の動向などが詳しく記されています。伊達政宗の事跡については、その法名の一部(貞山)が冠せられた『貞山公治家記録』に見ることができます。『貞山公治家記録』巻之24、慶長19年(1614)2月1日条を見ると、「辰刻(午前8時)名取筋ヘ御寓リ、鷹野ニ御出。」と記されています。「鷹野」とは、飼い慣らした鷹を使って獲物を捕まえる狩猟(鷹狩)のことです。

現在の広浦の様子

現在の広浦の様子

 また、5代藩主伊達吉村(獅山)の事跡が記された『獅山公治家記録』にも狩猟に関する記録が残っています。『獅山公治家記録』正編84、享保9年(1720)8月1日条によると、吉村は閖上に滞在した後、広浦で船を出して狩りを楽しみました。この時に捕らえた初鴻は、江戸に送るように命じられています。また、狩りの途中には、農家の家で休憩し、貧しい家には金2分を与えた、ということも記されています。藩主の狩猟は、地域の人々との交流の場でもあったことがうかがえます。

 こうした藩主の来訪は、地域の伝承にも残されています。下増田の耕谷地区の名産品である「耕谷もち」には、伊達のお殿様が狩りに訪れ休憩をした際に、ご馳走された餅を美味しいとお褒めになった、という伝承があります。また市内には、愛島北目の「鳥屋岬」や愛島笠島の「鷹鳥屋山」など、狩猟との関わりを思わせる地名も残されています。藩主たちが狩猟を楽しんだ風景を思い浮かべながら身近な地域を歩いてみると、新たな発見があるかもしれません。

 名取における藩主の狩猟などについては、令和11年度刊行予定の新『名取市史 第2巻 通史編2 中世・近世』に収録する予定です。関連資料をお持ちの方は、ぜひ市史編さん室までお知らせください。

皆さまのご意見をお聞かせください

お求めの情報が十分掲載されていましたか?
ページの構成や内容、表現は分かりやすかったですか?
この情報をすぐに見つけられましたか?