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《国指定》昭和49年5月21日 有形文化財建造物
中沢家は、近世初頭愛島塩手字前野田に移り住んできたと伝えられる旧家で、由緒についてはあまり明らかではありません。
建物の構造は、寄棟造、茅葺、石場建てで内部は、平面が田の字型の四間取りが確立する前段階の形式ですが、いわゆる名取型と呼ばれる名取一帯に古くから見られる特徴的な形態です。土間と座敷(おかみ)の間には、仕切りが無く開放されており、土間には3本の立派な独立柱が立っている18世紀に建てられた中型農家と推定されます。
この家は、建築当初以降数回、増改築を繰り返して昭和48年まで居住していました。
昭和49年国指定の重要文化財になった後、昭和50年から昭和51年にかけて移築復元の工事を行い、手倉田山の場所に建築当初の姿で整備されました。