本文
(市指定)記念物史跡
十三塚遺跡は、十三塚総合運動公園付近の標高30~40mの低丘陵上に広がっている縄文時代から古墳時代にかけての複合遺跡で、遺構は発見されていないが奈良・平安時代の遺物も見つかっています。
昭和15年小野力氏の調査で、多くの石製模造品や特徴のある弥生土器などが採取されました。のちにこの土器は、当時の東北南部の弥生後期(現在は中期後半)の標式土器として伊東信雄氏により「十三塚式」と名付けられました。その後、運動公園整備などにより何回か発掘調査がなされ、西日本の弥生前期の土器に類似する土器(遠賀川系土器)や弥生時代の土壙墓群などの貴重な発見がされています。特に遠賀川系土器が見つかったことは、西日本から弥生文化がかなり早くから伝わって来ていたことを意味します。
また、尾根上には完全に埋まりきらない凹んだ状態で43カ所あまりの竪穴住居跡(大部分は古墳時代と見られる)が確認でき、今まで発掘されたものも合わせると160軒余りの竪穴式住居跡が見つかっています。