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(市指定)有形文化財建造物
伊達藩家老片倉家の居城であった白石城の門遺構の一つを明治の初め頃に移築したものと伝えられています。
建物の造りは、総けやきの素木造、屋根は切妻造の棧瓦葺、三間一戸の門で市内で見られる唯一の武家風建築物です。
この山門は、白石城の大手門とか厩門などといわれていますが不明であり、門の形式についても薬医門又は四脚門といわれていました。
しかし、平成5年の解体復元工事から門の形式については、薬医門に類似した門であることが判明しました。
なお、この寺の墓地の片隅には、伊達家第11代の持宗公とその夫人の供養塔といわれる小さな五輪塔が2基ひっそりと存在しています。