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(市指定)有形文化財美術工芸品
熊野三山の元締めである熊野別当は、奥州藤原氏の後見的な立場にあったといわれています。源頼朝による奥州合戦の際は、激しい抵抗をして敗れましたが、のちに許されて本所に返されました。熊野三山は平安時代末期ごろ、かなりの勢力をもっていたと推測できます。
この熊野神社(熊野新宮社)には「熊野神社文書」と呼ばれる中世・近世の古文書が伝わっています。その文書からは、奥州管領吉良氏・陸奥守石橋棟義などから土地の寄進や税金の免除、さまざまな下知、禁制などを受け、伊達氏の時代になっても数々の寄進、奉納を受けていたことがうかがえます。そのことから当神社が中・近世において時の地方の有力者から手厚い保護と信仰を受け、崇拝されていたことがわかります。