本文
《国指定》昭和49年5月21日 有形文化財 建造物(重要文化財)
中沢家は、近世初頭から愛島塩手字前野田に住む旧家と伝えられていますが、由緒についてはっきりしたことはわかっていません。
建物の構造は、寄棟造(よせむねづくり)、茅葺(かやぶき)、石場建てで、桁(けた)行(ゆき)9間(16m)、梁間(はりま)5間(9m)で、床面積136平方メートル(約41坪)の規模を有しています。内部の形式は、その後、この地域一帯で一般的となる田の字型の四間取りで、土間と座敷(おかみ)の間には仕切りがなく開放されており、土間には「うしもち柱」「ほいと柱」「よめかくし柱」の名が付く3本の立派な独立柱が立っています。このような座敷の間取りや土間に立つ独立柱の配置は、「名取型」と呼ばれ、当時の名取地方の農家建築の特徴となっているものです。
建築年代について詳しい資料はありませんが、建物の特徴などから18世紀後半頃に建てられたと推定されています。
なお、現在、手倉田字山の「十三塚運動公園」付近にある建物は、昭和49年に国の重要文化財に指定された後、昭和50・51年に移築復元し、建築当初の姿で整備したものです。
(注釈)
所在地:名取市手倉田字山216-93