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《国指定》昭和53年3月16日 記念物 史跡
飯野坂古墳群は、市の平野部中央に突出する丘陵(愛島丘陵)の北東端部(飯野坂5丁目、名取が丘1丁目)一帯に、前方後方墳5基と方墳2基が隣接して分布しているものです。
この古墳群では、南東側から薬師堂古墳(全長65m)、宮山古墳(全長60m)、山居古墳(全長60m)、山居北古墳(全長40m)、の前方後方墳が一方向に並ぶように立地し、山居古墳の東側には観音塚古墳(前方後方墳:全長65m)とその北側には観音塚北1号墳(一辺14.4m)・2号墳(一辺14.2m)の方墳があります。また、以前この付近にカラト塚古墳(方墳?)、山囲(やまがこい)古墳(墳形不明、横穴式石室、頭椎大刀(かぶつちのたち)などが出土)がありましたが、現在ある古墳群との関係は不明です。
これらの前方後方墳が造られた年代は、古墳の形状や採集遺物、築造形態などから、ほぼ古墳時代前期(4世紀代)の間に収まるものと考えられており、また古墳の性格は、この地域を治めた代々の首長墓ではなかったかと推定されています。
なお、この飯野坂古墳群のように、前方後方墳と方墳が密集して造られている古墳群としては日本の北限のもので、古墳文化の研究において大変価値が高い重要な遺跡の一つとなっています。
所在地:名取市飯野坂5丁目、名取が丘1丁目