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(市指定)民俗文化財 無形民俗文化財
昔、下増田麦搗(つ)き踊の伝わる地域の農家では、田植えが済むとそろそろ麦刈りが始まり、刈った麦を庭に運び入れならべて麦打ちをし、田の草取りの始まる頃になったら夜なべ仕事で麦搗きが行われるのが一般的で、その際には、隣近所の女たちが集まって堅杵(たてぎね)で臼を取り巻き、にぎやかに作業に合わせて麦搗き唄が唄われ、後に踊りも添えられるようになったとされています。
江戸時代の頃、増田近郷の農民は、田植えを終えた後に亘理・相馬地方に働きに出て田植えや養蚕(ようさん)に従事したと伝えられ、仕事歌の一つである麦搗き唄も、この地方からの影響を受けたものと考えられ、慶応年間(1865~1868)の頃に最も盛んに唄われていました。
明治9年6月24日、明治天皇東北御巡幸の折り、増田に設けられた行在所(あんざいしょ)での御休息の際、15才~20才の女子が揃いの衣装で麦搗き唄を唄いながら麦を搗いて天覧に供したと言われています。
※耕谷夏まつりなどで披露されます。