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縦走 令和5年11月号

更新日:2023年11月1日更新 印刷ページ表示

「名取熊野三社と名取老女の伝説」

名取熊野三社の勧請に関連して、「名取老女」の伝説があります。

 昔、名取の地に一人の巫女がおり、毎年紀州熊野に参詣していましたが、年老いてそれがかなわなくなり、近くに小さな熊野三社を建ててお参りしていました。

 ある時、旅の山伏に紀州熊野権現から「名取老女を訪ねよ」と夢のお告げがあり、枕元にあった梛の葉に虫食い文字で「道遠し年もいつしか老いにけり 思いおこせよ我も忘れじ」という和歌がありました。

 名取の地を訪れた山伏がそれを伝えると、老女は感激し涙を流したとされています。

 また、鳥羽天皇が突然の病に臥せていた時、夢枕にお告げがあり、都に呼ばれた名取老女が湯たての祈祷で鳥羽天皇の病気を治し、そのお礼に、名取熊野三社を建てることを許されたという言い伝えもあります。

 ちなみに天皇の病の原因は大陸から渡来した九尾の狐で、退治された狐は遠く那須の山奥まで逃げて殺生石になったとのことです。

 名取熊野三社と名取老女の伝説は、熊野三社に関わる古文書や地域の風土記など様々な形で書き残されたり、言い伝えとして語り継がれたりしてきました。

 また、老女の屋敷があったと伝えられている場所(仙台市太白区中田)には、熊野三社勧請の際に、老女を紀州から先導したとされる八咫烏(やたがらす)が祀られたと伝わる「烏の宮」や老女神社跡があり、下余田地区にも下余田熊野三社や名取老女の墓とされる場所もあります。

 それら文献や言い伝え、そして現存する歴史遺産等を改めて学んでみてはどうでしょうか。

 名取熊野三社勧請900年を契機に、私たちのふるさとの歴史に触れ、先人たちの思いやロマンを肌で感じてみたいものです。