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十三塚遺跡出土弥生土器

更新日:2024年1月10日更新 印刷ページ表示

(市指定)有形文化財 美術工芸品

十三塚遺跡出土弥生土器写真

 十三塚遺跡は、十三塚総合運動公園付近の標高30~40mの低丘陵上に約30haにも及ぶ広さで、縄文時代から古墳時代にかけて長い間生活が営まれてきた遺跡です。
 昭和15年小野力氏の調査で、多くの古墳時代の石製模造品や特徴のある弥生土器などが採取されました。後にこの土器は、当時の東北南部の弥生後期(現在は中期後半)の標式土器として、伊東信雄氏により「十三塚式」と名付けられました。
 その後、運動公園整備などにより発掘調査が行われ、西日本の弥生前期の土器(遠賀川(おんががわ)式土器)に類似する土器(遠賀川系土器)や弥生時代中期の土壙墓(どこうぼ)群などの貴重な発見がされています。特に遠賀川系土器が見つかったことでは、稲作を中心とした弥生文化が、東北地方の中でもいち早く伝わった地域であったことがうかがえます。
 また、遺跡の尾根状の部分には、本州では大変珍しい、完全に埋まりきらない凹んだ状態で確認できる竪穴住居跡(大部分は古墳時代)43カ所余りがあり、今まで発掘されたものの数を合わせると180軒以上の竪穴式住居跡が見つかっています。

 ※遠賀川式土器=九州の福岡県にある遠賀川周辺の遺跡から見つかった、弥生時代前期の特徴を持つ土器群。

所在地:名取市増田字柳田80