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(市指定)記念物 史跡
横穴墓は、以前「蝦夷(えぞ)穴(あな)」と呼ばれ、古代の東北に住んでいた人々(蝦夷)の住居跡と思われていた時期もありますが、今では、発掘調査により古代の人々のお墓ということがわかりました。
熊野堂横穴墓群は、高舘丘陵北端部の砂岩が露出する斜面に造られており、分布する数が百数十基以上と推定され、県内でも有数の横穴墓群とされています。
平成元年と平成6年に89基の横穴墓を発掘調査した結果、横穴墓全体の分布範囲は大きく3つの区域(A~C)に分けられることが確認され、築造形態は階段状、内部構造は玄室(棺を納めるところ)がアーチ型・ドーム型で羨道部(玄室への通路)が比較的短いものが多いことがわかりました。
埋葬施設については大変遺存状態が良く、一つの玄室から複数(2~7体)の人骨が追葬された状態で発見され、中には、再埋葬したと考えられる施設も確認されました。また、副葬品は直刀・矛(ほこ)・鉄鏃(てつぞく)などの武器類、勾玉(まがたま)・切子玉・鈴釧(すずくしろ)・金環などの装飾品、土師器(はじき)・須恵器(すえき)などの土器類が出土しています。
横穴墓の築造年代は、構造や出土遺物から7世紀から8世紀にかけて造られたものと見られ、墓の性格は、高舘熊野堂付近の支配者層の家族的な集団墓と推定されています。
所在地:名取市高舘熊野堂字大門山35