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(市指定)記念物 史跡
遺跡は、高舘丘陵北東端付近の高舘熊野堂に位置し、寺ノ沢と院ノ沢と呼ばれる沢に挟まれた小丘陵の南斜面沿いに立地しています。この地域は、東北地方の太平洋岸沿いにおける熊野信仰布教の拠点となった名取熊野三社の勧請(かんじょう)の地とされていることから、大門山遺跡も鎌倉から室町時代にかけて営まれた関連遺跡の一つと考えられています。
昭和62年の発掘調査の結果、250基あまりの板碑(いたび)の他、埋経施設と火葬骨を納めた集石墓群が発見され、遺構の位置及び性格などから、熊野信仰布教にかかわった人々の墓所とともに熊野三山を信仰した人々の供養所であったことが確認されました。
また、名取は県内でも板碑(いたび)が数多く分布するところで、市内ではこの大門山付近にその大半が集中しており、詳細な調査をすれば、本遺跡には少なくとも300基以上存在すると思われます。このように大門山遺跡は、墓所・供養所としては県内最大の規模で、日本の中世における墓制・葬制を研究する上で重要な遺跡となっています。
※板碑について
板碑は中世の石塔の一つで、供養のために立てた塔婆の一種です。後には墓碑も表すようになります。刻まれた文字は梵(ぼん)字(じ)と呼ばれ、一つ一つの文字が仏様を表しています。
所在地:名取市高舘熊野堂字大門山52、53