本文
(市指定)記念物 史跡
高舘城跡は、高舘山(標高203m)の中腹から山頂付近にかけて築城された円郭式の山城で、仙台平野から仙台湾を一望に見渡せる場所に位置しています。
高舘城の規模は、東西400m、南北500mに亘って土塁や平場の遺構が認められ、中央の本丸の周りには、北ノ丸・東ノ丸・南ノ丸・西ノ丸があり、北から南にかけての3ヶ所の尾根には小規模な平場があり、一つは秀衡ヶ崎と呼ばれています。
この城跡は、安元元年(1175)藤原秀衡が館を築き、文治5年(1185)奥州合戦の折りは藤原勢が同城にたて籠もり、鎌倉勢を迎え撃ったと言われ、その後、永禄年間(1558~1570)に伊達種宗が一時居城し、後に家臣の福田駿河守を城主として置いたとされています。
また、観応の擾乱(1351)で多賀城をめぐる攻防のなかに出てくる「羽黒城」・「名取要害」は高舘城のことだと言われています。
このような歴史的背景を持つ高舘城は、市内に現存する中世の城館跡のなかでも典型的な山城として大変重要な城跡となっています。
所在地:名取市高舘吉田字西真坂