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(有形文化財)美術工芸品
この2基の五輪塔は、伊達家11世伊達持宗公の五男蕊源和尚(ずいげんおしょう)が応仁元年(1467)に開山したと伝えられる耕龍寺境内(本堂の西近辺)に立っているもので、持宗公夫妻の供養塔であると伝えられています。
塔高の高い方(72cm)が文明元年(1469)に没した持宗公の、塔高の低い方(62cm)が文明7年(1475)に没した同夫人のものと伝えられています。
どちらも塔の形態は同一のもので、種子(しゅじ)や銘記(めいき)は刻まれていませんが、特に笠部分の特徴から江戸時代中頃に造立されたものと思われます。
伊達氏の北進政策における名取の地との結びつきをうかがわせる史料であり、市内に現存する数少ない五輪塔としても貴重な文化財の一つです。