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舞楽面

更新日:2024年1月10日更新 印刷ページ表示

(有形文化財)美術工芸品

抜頭の面の画像
抜頭の面

舞楽の由来

 インド,中国,朝鮮半島を経て日本に伝えられた伎楽などの楽舞は外来の芸能である。古くは奈良時代に宮廷楽として雅楽寮の楽人が演奏していた。平安時代になり仁明天皇の御世天長10年(833)に楽制の改革があり整理・統合で雅楽・舞楽が成立した。雅楽に舞の伴うものを舞楽といっており,鎌倉時代に全国的に普及した。

名取熊野堂舞楽

 貞観2年(860)慈覚大師の山形山寺立石寺開山に従って来た大阪四天王寺の楽人林家の系統を伝えたものと言われている。熊野堂舞楽は今日まで門外不出とされたため一般に知られなかったが,現在宮城県内に伝わる舞楽としては熊野堂舞楽が唯一のもである。この舞楽は現在5演目伝わる内,二の舞(二柱の舞・爺姥の舞)と龍王の舞に舞楽面が使用されている。

舞楽面

 二の舞(二柱の舞・爺姥の舞)の面は,咲面(老爺)と腫面(老姥)の2種類で,木製赤漆塗りで復原されたものである。又,左の写真の抜頭の面は,神楽面へ転用されたものであるが,現在神楽にも舞楽にも使用されていない。さらに,龍王の面は,昔から使用されたものが古くて使えなくなったため,現代になって新しく作ったものとのことで,今回の登録文化財には含めない。
 ※舞楽を演ずる水上の舞台は,祭りの時のみ組立てられるもので,この舞台も組立等技術も含めて有形文化財に該当の価値がある。